星乃トラコは眠りたい。

小説を書いて一発当てて犬を飼って寝て暮らす。それがわたしの最終目標。

この時期になると思い出す。

彼女のことを。 


 世の中には、
 「いとしの王子様を一目見たいけれど彼は陸、わたしは海の底」→自ら毒をあおってでも逢いにいくお姫さま
とか
「いとしの王子様に逢いたいけれど彼は下、わたしは高い塔の上」→逢瀬のために綱(の代わり)を垂らして登ってきてもらうお姫さま
とかがいるわけですけれども。

「いとしの王子様を一目見たいけれど外出がとても厳しく禁じられている」→生みの親に一服盛ってちょっとお出かけ
とか
「いとしの王子様に逢いたいけれどわたしは高い塔の上(ブチ切れた生みの親に閉じ込められた)」→自分で投身して脱出、いそいそとお出かけ
とかやるお姫さまもいるわけです。
いや、血筋とかは全然プリンセスじゃないんだけど、というか彼女たぶん血とか流れてないけど、物語的にはヒロインだからいいじゃないですかお姫さまで。
で、そうまでしてお出かけしてどんなアプローチかけるのかと思えば、憧れの王子様を遠くからうっとり見つめたり、せいぜいが言葉ひとつ交わさずにただ差し入れを届けたりするだけ。
窓から身を投げて腕とか足とかもげてまですることが、差し入れ。しかもこの段階では王子はまったく彼女になびいていない(他にやることがあって忙しいので色恋どころではない)。脈がないとかいうレベルじゃない。
そんな恥ずかしがり屋さんなのに、いざ王子にマジな危機が訪れようとするときには当人への箴言も辞さないどころか、敵対者に色仕掛けすらふっかける。
トラコは地味に長年感心しているのですが、冷静に考えると憧れても近づける気がしないし敵には絶対に回したくない系女子。

それが彼女、サリーです。ぼろくずが詰まったお人形ちゃん。ひと昔前は「死体の皮膚を縫ってつないで作られた」ってのが公式設定だったと思ったんだけど近頃はさっぱり見なくなった。
登場作品はティム・バートンの「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス(以下NBC」で、20年だか30年だか経つのにあの独特の世界観が今頃ウケてブームになったりまた忘れられたりしているクレイアニメ映画です。

作中屈指の美しい光景といえば、多くのファンがきっと『スパイラルヒル』を思い浮かべると思われますが、個人的にもうひとつ非常にこころ揺さぶられるシーンがあって、それが先述した「サリーの投身」なのであります。
サリーはマッドサイエンティストがお人形に命を吹き込んで作ったので四肢を縫い解くことができます。解けるということは繋ぐこともできるというわけで、ちょっとバラバラになったくらいでは死なない(し自身でそれをわかっていて積極的に利用しに行く)のですが、そのサリーでも高い塔から身を投げる直前にためらうのです。窓から下を覗き込んだとき、明らかに「こわいなあ、いやだなあ」という顔をしているのがアップで映る。
で、その困り顔をふと上げると、暗闇の向こうにもう一つ背の高い建物が見える。いとしの王子様のおうちであります。その窓が夜闇も散らさんばかりに輝く。王子様は一晩中研究にふけっているのです。窓から漏れる光はその実験の副産物。
その光を目にした我らがヒロインは、さっきまでの不安は何処へやら、ニッコリ微笑むと軽やかに窓から飛び降りるのでありました…。
もうね、このシーンがトラコにはたまらないわけです。
ためらうということはやっぱ、手足取れたら(常人ほどではないにしても)ダメージあるんじゃん!?にもかかわらず、結局飛ぶんじゃん!?しかも振り向く気配もない王子様の、本人の姿ですらない、部屋から漏れるあかりひとつで行っちゃうんじゃん…!
健気で片付けるにはあまりにも狂気じみた、しかし不吉なものと呼ぶにはあまりにも濁りも曇りもないあの軽やかさと笑顔が刺さる。
正直、ディズニーテコ入れの映画でこそ伊達男を気取っているけども原作絵本では絵に描いたが如き非モテの地味男くんな主人公にはちょいと勿体無いんとちゃうか。などと邪念が頭をよぎるのであります。でもよぎるだけ。そう、彼女が文字通り身を投げ出すほどの相手をそんなうっかりdisれない。映画では本当にちゃんとかっこいいしかわいいとこもある超チャーミングキャラだし。そこはなんというか流石だディズニー。お約束をしっかり踏まえようとしに来ている。

話が逸れましたがこの季節、オインゴ・ボインゴなど聞いて踊り狂ったりなどして過ごしておりますが、そんな折にふと思い出すのでありました。