犬のこと
前回からずいぶん間が空いてしまった。
おまけに「眠気を払うのに有効な、たったひとつの冴えたやり方」を書くことにして筆を置いたが、ふとそれが小説のネタになり得ることに気づいてしまった。
というわけで大変に不誠実ではあるが、その話はなかったことにしていただきたい。
いずれどっかのコンクールにでも落っこちたら、供養のつもりで原稿を載せることもあるであろう。それまでお蔵入りである。
代わりと言ってはなんだが、とってもかわいい犬の写真を載せておくので文章はさておいてご堪能いただきたい(…と、言いたいところではあるが、多くは載せないし選りすぐりのブサかわ写真集にもしている。身バレは困るしこいつのかわいさに犬さらいが出現しても怖いし、何より私は写真の腕が悪くてこの愛くるしさを画像で十分に伝えることは望むべくもないことなのである)。
実家で犬を飼っている。堂々たる体躯のゴールデンレトリバーである。
どれくらい堂々かというと、体重にして40キログラムを超える。
Wikipediaを見るとゴールデンレトリバーはオスで体重29〜36キロほどと書いてあるので、いかに骨太かご想像いただけるかと思う。
よく「このでかいやつ」と呼ばれ(私に)、小突かれてはかわいがられている(私に)。
これだけでかくありながら、何をやってもかわいらしいという驚異の生命体である。
身バレが怖いのでほんのちょっとだけ載せておく。
かわいいだろう、ふふふ。
やつのかわいいエピソードには事欠かない。羅列するが読まなくてよろしい。
初めておすわりさせようと思ったときただ「オスワリ」と言っただけで誰もオスワリのなんたるかを教えていなかったというのにサッと尻をつけて座り、「これが血統というものか!」と人を驚愕させたとか、かと思えば初めて水遊びさせたときに水に飛び込む犬種のくせに怖がって入りたがらず、入ったら入ったでヒトにしがみついて服を破いてくれたとか、小さいころは人間の髪を引っ張ろうとするじゃれ遊びが大好きだったが寝そべって本を読んでいる当時長髪だった私に背後から飛びついて髪飾りを引きむしり大目玉を食ったとか、まだ外で遊びたいのに遊び相手の人間(私)が先に屋内に入ってしまおうとするのがイヤで隙をついて靴を片方くわえて逃げ、片足VS四本足という逆ハンデ状態で鬼ごっこを展開、当然捕まるわけもなく大いに楽しんだとか、一時期屋内でヒトの靴下を脱がせて持ち去る遊びがブームだったとか、ねこ大好きでネコなら何でもいいとばかりに近所のネコと遊びたがるがネコの方はやつを大好きでない(むしろお付き合いをご遠慮願いたがっている)ので常に振られっぱなしだとか、綱引きやボール遊びはしてくれるしお誘いもかかるのだが何故かプロレスはやってくれないとか、寝顔が子犬のころの写真のまんまだとか、
どこのイヌにもあるだろうがもちろんうちのイヌが一番かわいいという話が佃煮にできるほどある。
どうだかわいいだろう、ふふふ。
いや、もちろん伝わるまい。このかわいさは実物を目にして膝の上にのしかかられ、巨体でぺったりくっつかれ、喉のツヤッツヤの貴族の巻き毛のような飾り毛を存分に撫で、ついでにブンブン振られる尻尾でビンタを食らったり耳の後ろを掻いてやってぴらぴらの耳がぱたぱたぱたーとなるのを実地で見なければ決して伝わらないのだ。
かわいいだろう、ふふふふふ。
こんなにかわいいイヌではあるが、実は私にはやつに関して、墓場まで持って行こうと決めている秘密がある。
もちろん墓場まで持って行こうと決めているだけあってここには詳細は書けない。
こっそりチョコレートやタマネギを食わせたとか、ひどい怪我をさせたとか、そういったイヌの生命に関わる類の秘密ではない。
ただ、これがやつにバレるとやつはおそらく大変にがっかりして悲しむことだろうと思うし、やつにがっかりされるくらいなら怒り狂われてひとおもいに喉頸食いちぎられた方がマシであろうから、私はこの秘密を墓場まで持って行くことに決めている。
墓場でゆっくり眠り病に付き合いながら、話に聞く虹の橋のたもとに招かれた折になど、ひょっとしてやつの機嫌が良さそうだったら、漏らしても…
いやダメだ。舌を抜くと脅されようとしゃべるわけにはいかない。
そういう秘密がひとつだけあるのである。
もちろん、やつはその秘密を知っていてもおかしくはない。
ただし、100%忘れているだろうとしか思えないのである。
時期も時期で、まだ子犬のころだ。やつの全身が今のやつの頭くらいの大きさしかなかったよちよちの時代の話である。
もしも覚えていて理解していたらやつが私に対してあんなに親しげに振る舞うことなどありえない。少なくとも私なら事あるごとに「今はこうしてかわいがってくれるが、あのときこの人はこう言った、こう振舞った、あれがこの人の本心かも知れぬ」と思い返して距離を取る。それくらいされても仕方がないことを私はあのころ初対面のやつにしたのである。
そう、初対面だからこその過ちでもあった。
だが言い訳はしない。私はやつに対してうっかり大変に失礼なセリフを吐き、やつはそんなことなどまるでなかったかのように(というかたぶんやつの中ではそんなことはなかったことになっているのだろうが)、今も私を慕い続けてくれている。
何を言ったかだけは神と私とやつの脳細胞のどこか片隅が知るのみである。
ここまで書いてきてふと思ったが、まさか読者諸兄に(諸兄と言うほど来訪者もないだろうが)イヌにヒトの言葉がわかるはずがない、などという前時代的な迷信を信じておられる方はあるまい。
やつらはヒトの言葉を解している。とはいえ言語として日本語を理解しているのではない。音声の記号的理解は主に命令や一部の名詞(オヤツとかサンポとかイモとかボールとか)に限られると考えられている。やつらはそれ以上に、音声に込められた感情やニュアンスを汲み取るのである。
でなければ連中をしつけることなどできるはずがない。「何をしたらヒトが喜ぶか/怒るか」は、イヌの側にヒトの喜びや怒りを音声と態度から感知する能力がなければ培われるはずのない判断である。しつけとはその判断力を利用するものであるから、そもそもイヌがヒトの感情の機微に疎ければ成立しえないのである。
そして当然ながら、ヒトの感情の機微は態度及びその言葉、口から出した音声にもこもる。連中は自分が軽んじられていることや自分の存在をヒトが喜んでいないということを、音声からも嗅ぎつけることができるのである。
「馬鹿」という言葉を辞書的に理解することはできなくても、馬鹿にされていることはわかるのである。
さあそんな連中の眷属に対し、子犬の頃とはいえ、自分でもやられたら一線を引くような失言をこいてしまった。
報復が怖いというよりも、親友を裏切っているような居心地の悪さで、後悔すること山の如しである。
やつが無邪気な喜びをあらわにしてじゃれればじゃれるほど、ふとした折に自分が発した言葉の無神経さが悔やまれてならない。
ああわたしはどうしてこんなに忠実なかわいいイヌをつかまえて。
あのとき子犬のこいつを見るや否や、あんなことを言ってしまったのだろう。
いや書かないけど。書きませんけど、「あんなこと」の内容は。
許してくれてても、くれてなくてもいいけど、というかそれは私がその良し悪しを云々するようなことではないので措くけれども。
やつに嫌われてなければいいなあ、と切に思うのである。
同時に、忘却以外に、やつにあのような親密さと歓喜に溢れた態度を取らせるものがあるとしたら、それはどんな度量の深さ、愛の大きさなのであろう。
自分の何がそんなとてつもないものに値したと認められたのであろう、と、考えずにはいられない。
眠気と戦う
私はもうイヤだ。
眠い。
眠すぎる。
眠い。
眠い。
何も考えたくない。
眠い。
面白いものを読みたい。
眠い。
考えることの面白さが思い出せない。
眠い。
眠気と戦うにはコツがある。
まず、力を用いてはならないということである。
眠気を飛ばすためにむやみにりきんだり、運動をするなど、肉体の力に頼ろうとするのは危険である。
というのもそれらの力は必ず抜けるものであり、脱力の瞬間に眠気の侵入を許すことになる。ただでさえ眠気は強敵なのである。わざわざ敵を導き入れる隙を作ってはならない。
食物に頼るのも良い手とは言えない。特に辛いものやミントの効いたものなど刺激物に頼ろうとするのはよくない。何故なら単に効果がないためである。嗜好品として刺激物を愛しているのならともかく、苦手ならそれらを用いるべきでない。
味それ自体が覚醒刺激となるならば甘いものでもよいし通常の食事でもよいはずである。しかし本来ものを食べることは血糖値の上昇ののち必然的に低下を招き、その際には常人でも眠くなる。血糖値の低下を待たずとも、口一杯の御馳走を咀嚼して飲み下し、ふうと息をついたその瞬間に眠気はこじ入ってくる。これも肉体的な脱力の一種であり、かつ味それ自体から気も逸れている一瞬であるから、その空隙をここぞとばかりに眠気は狙ってくるのである。
覚醒効果をうたわれている市販の化学物質を試すのも勧められない。代表的なものはカフェインであるが、医師が処方するモディオダールとの飲み合わせが良いのか悪いのかよくわからない。ただでさえ特定の病気にのみ処方すべしと法で定められているような薬を飲む羽目になっているのだから、市販薬とはいえ独断で他の薬を重ねるべきではない。あまりにもリスキーである。
今のところ、私の眠気を払える唯一のものは私自身の意識だけである。
トートロジーのような話だが事実なのだから仕方がない。
私は自分が眠気を払おうとしていることを意識している間は目覚めていられる。
眠気に対して意識で対抗するには、ちょうど痒みに対してするのと逆のことを行う必要がある。
ヒトの意識は痒みに対しては忘れよう無視しようと努めるものである。
眠気はその逆で、自分が常に眠気に脅かされていることから決して気を逸らしてはならないのである。
具体的に言うと、何かの作業にあまりにも長く従事しすぎて眠気を忘れてしまうのはよくない。
ずっとPC画面に見入るとか、延々手元でハサミを使って紙を切るとか、そういった作業は危険である。どうしても脳が飽きてきて、手元は一定の動きをしつつ思考は全く別の事柄を考え始めていたりする。
その「全く別の事柄を考えている思考」が、いつのまにか仮定の出来事に関することになり、仮定が空想、空想が夢へと徐々に徐々にすり替えられ、気がつくと眠気に囚われているという状態に陥ることになるのだ。
眠気と戦う宿命を負った身で仮定のことをあれこれ考えるのは大変危険である。「もしもあれをやるんだったら」「もしもこの件の答えがああだったら」というような、仕事の段取り作業の一端のような極めてシリアスで真剣な内容であったとしても、眠りは夢の薄刃をそこに差し込み、出来上がったわずかな切れ目から少しずつしかし確実に侵入してくる。さながら毒ガスの類である。
眠気を払うのに真に効果のある、今のところたった一つの方法が、実はある。
しかして余白と時間が不足しているために(時刻は22時半に差し掛かる、そろそろ私の電源が切れるころである)今は筆をおく。
次回からはそのことを書いてみたい。
眠り病のこと
思えば学生時代から、居眠りの多い生徒だった。特定の授業で寝る傾向が高かったのでずっとその科目と相性が悪いのだと思っていたが、よくよく考えれば特定の時間割、すなわち時間帯で眠りに落ちていたのだった。これで成績が悪ければ教師の目の敵にされたところだが、幸い私は優秀な生徒だったのでお目溢しをもらっていた。
問題が本格化したのは就業してからで、遅刻ギリギリで居眠りもやるので評価は地に落ち、寝るなと咎められれば返事だけは良いものの何度でも眠るのでやるやる詐欺の常習のように扱われ、配置換えで余計に時間に厳しく忙しいところに回され、そうこうするうち帰宅後に何も、食事も入浴も掃除も洗濯も全く何もできず帰るなり眠るようになって、全てがほころび始め病院に駆け込んだ。
眠り病と判って良かったことはあまり無い。職場に診断書を提出したら居眠り癖だけはどうしようもないものとは理解されたが、そうは言っても自分が頑張っている横でうとうとしている奴がいたら良い気分はしないのが人間というもの、まして私に「居眠りの分他のところで人一倍頑張ろう」という姿勢が見えないのもあって、先輩や上司の覚えは日に日にめでたくなくなるばかり。
強いて言えば検査の折に自分の眠りの異常さが数値になってはじき出されたことや、あの大仰な検査機械の取り付けや完成した姿を見られたことは面白かったしいい経験だったが、これらの検査も専門の機関で行ったため金額としては馬鹿にならない出費となったので、眠り病のメリットには数えられない。
夢に関しては、少しは良かったかもしれない。私は眠り病にしては悪夢が少なく、ねじれた世界観や物語性をもった小説のような夢を見ている。ぶっちゃけとっても面白く、楽しい。許されるなら二度寝と言わず三度寝四度寝してしまいたいとしょっちゅう思っている。
ときどき困るのは、やはり仕事の夢も見てしまうことである。この前は前の部署の上司が私の引越し先を紹介してくれることになって、そのためには仕事をもっと頑張ってもらわないと、と言われ、その引越し先に気に入られるために雑用をしに行く夢を見た。目が覚めてからしばらく「そうだなー仕事頑張らないと、それに早く着替えてあそこのお家を片付けにいかなきゃ」などと思っていたが、よくよく考えれば前の部署の上司が私の今の仕事の評価をするわけがないし引越しの面倒を見てくれるとかありえないしそもそも私には引越しする予定はない。という具合に、夢を真に受けて現実とかみ合わなくなることがしばしばあって少し混乱する。
「引越し先」として出てきた家はよく思い出してみれば父の実家であった。幼い頃は探検して遊んだこともあったが、職業柄もありものすごくモノの多い建物だった。潰して平地にしてしまったはずなのでもう片付けに行くことはできない。
わたしという人物及びその人生の目的について
小説を書いて一発当てて犬を飼って寝て暮らす。
それがわたしの最終目標。
別にわがまま言ってるわけじゃない。
小説を書くというのは私が持っているうちで唯一金になりそうな類の才能であり、暮らしのためには小遣い稼ぎでなく口を糊することのできる金額が必要であり、犬は人間のもっとも忠実な友であり、寝て暮らすのは私が眠り病を患っているからだ。
必然に固めた最低限の生活、わがままどころか慎ましいと言ってもいいくらいの生活である。
私には豪邸も車も宝石も社会的地位も必要ない。それらを維持できるだけの機会も体力も無いからである。眠り病のおかげでどこへ出かけて何をしてみても二言目には「眠い」とぶつくさつぶやくはめになる。当然居合わせた人間は何事かと思う。早朝や深夜ならともかく、昼日中からあくびを連発して目をこすっているのである。電車で空いた席に腰掛けようものなら、たちまち夢の世界へ落ちてしまう。誰かとの食事や買い物の最中にもずっと眠そうに(=だるそうに、つまらなさそうに)している。自然と社交の機会は減り、社会的な地位もすり減っていく。
でかい家は維持が大変なだけだし(私は大変な片付け下手だ)、車なんて危なっかしくてとても運転できない。きらきら輝くものなら石でも水面でも同じことであるので、近所の川にでも出かければ済む。いずれも無用の長物である。
あ、でも庭はほしいかも。欲を言えばプールも。いずれも広い方が良い。大型犬を飼って遊ばせるには広いスペースが必要だからだ。飼うならゴールデンレトリバーと決めているので水場があると最高である。
犬はいい。ゴールデンレトリバーは更にいい。彼らは誠実で我慢強く頭がいいくせに甘えん坊だ。その愛には限りがなく、したがってそのじゃれかかりやのしかかりにも限りがない。愛を体現していることを自覚しているかのごとく文字通り体当たりで愛をぶつけてくる。
かと思えば、決して人の手を噛まないよう、人の手のひらや足を踏みつけないよう、実は常に細心の注意を払ってもいる。気遣いという愛も持ち合わせているというわけだ。
これを愛さずにいられようか。
一緒にいるだけで至福と言わんばかりにどこへ行くにもひっついてきて、スペースに乏しい席でも隣にその巨体をねじ込み、入らない尻を落ち着けてにこにこしている。頭や耳の後ろや喉元のすばらしくつやつやな毛を撫でさえすれば、大変にご機嫌である。私が眠り病に潰されて床に転がっていると、犬はそっとやってきて、ごく遠慮がちに寄り添って丸まる。眠る私の邪魔をすまいと、でかい体で精一杯のことをしてくれるのだ。
私も私の精一杯のことを犬にしてやりたいと思うのは当然ではないか。
ゆえに私のすみかには広い庭と、可能なら水場が必要である。
そのためには大金だ。ゆえに、小説である。
小説で一発当てることが宝くじで一発当てるよりも難しいことは重々承知している。もともと確率の低い夢である上に、このご時世小説の売れ行きは芳しくない。
しかし、しかしだ。私の持ち物で売りに出しても良いと思えるもので実際に売れそうなものは、他にはほとんどないのだ。
私は家は持っていない。私は金になるものは持っていない。私は時間さえ持っていないも同然だ。眠り病のせいで。よしんば薬が効いたとしても、私の仕事での稼ぎは非常に限られている。
だったら、これはもう、私の書いたものにでも私の代わりに金を稼いでもらうより他にないではないか。私が寝ている間にも。
一発当てるのが目標と言ったが、この際千円を超えるなら金額は問わない。私が寝ている間に、金に化けてくれさえすればいい。薬代だって馬鹿にならないのだ。
犬を飼うのは憧れであり目標であり可能なら実家の犬と暮らしたいというのは切に望むところであるが、金がかかることだというのも理解している。何も全てを明日叶えよとまで望んではいない。
そして、生活の基盤に巣食う妨げがある。
眠り病。
おぞましい病だ。
私が持っている数々の気性の中でももっとも私を手こずらせ苦しめる、最悪の性質を示す。
私は眠気が大変に強いだけで発作がないのでまだマシな方で、人によっては喜んだり嘆いたりとテンションの上がった瞬間に脱力して動けなくなるという発作が出る場合もあるそうだ。
投薬治療を受けているがあまり効いている気配はない。日々眠気は強く、カーペットを見ると突っ伏して寝たいという衝動と戦わねばならない。椅子に腰掛けて息を吐き、何となく目を閉じて仕事についての段取りを頭の中で考え始める、この書類に印をもらってこの話はあの部署に持って行って、などと考えていると、いつのまにか関係者名簿がハムスターの出欠簿になっていて次の会議ではハムスターを見分けて出欠を取らねばならないがまだ全ハムスターの区別がつかないどうしようなどと必死になってしまい汗だくで目がさめる、というような毎日を送っている。
これも、私はなぜかハムスターで済んでいるが、たいていの患者は一人暮らしの自室に凶器を持った侵入者がある等の異様にリアルな悪夢を見たり金縛りにあったりするものなのだそうだ。
今のところ発症原因もはっきり特定されてはおらず、根治の方法はない。事によっては一生この眠気と付き合わなくてはならない可能性がある、ということである。
そうでなくても労働者としては極めて出来の悪い私であるのに、この頃の肉体は食事する暇があったら睡眠を取れとばかりに四六時中眠い。
食いたいものがあっても食うとまずく、買い物には行けても料理はできず、洗濯物は溜まりに溜まって、タイムシフト予約したジョジョも飛び石でしか視聴できず結局見事に見逃した。よりにもよって最終回を。
このままでは生活が破壊される。
はっきり言って仕事などしてる場合ではないのである。
しかし当たり前だが仕事を辞めることはできない。
金がなくては生活できないという意味でもそうだが、この病気の本当に最悪なところは、眠っても回復したり症状が軽減されるとは限らないということなのである。少なくとも私には寝たことで眠り病が軽減されたという実感は全くない。毎日8時間以上寝ていて昼寝もこっそりとって、それでも耐えきれず居眠りをするし出社から退社まであくびを連発しているのである。
仮に辞めたとしても療養の方法は無い。毎日寝て暮らすのみである。
ならば、せめて今は仕事にしがみついてできることはやりつつも、寝て暮らしながら働けて金の稼げる方法を探すか作るかした方がよいではないか。それなら犬の添い寝で昼寝もできよう。
ゆえに、
小説を書いて一発当てて犬を飼って寝て暮らす。
それがわたしの最終目標。
私にはこの生活をつかみ取るために努力をする権利があるし、私の犬のためにこの生活を(完璧ならずとも)実現する義務がある。
必然に固めた最低限の生活、わがままどころか慎ましいと言ってもいいくらいである。