「保護なめんな」とオバマケアの行方
小田原市がいろいろと話題になっております。
http://b.hatena.ne.jp/entry.touch/www3.nhk.or.jp/news/html/20170117/k10010842921000.html
トラコ的にはまったく他人事じゃありません。
トラコは放ったらかしとくと何時間でも眠れる、もとい眠りすぎる・眠気が去らない病気であります。
治療とかしないと日常生活に支障を来すものであり、病院に泊って受けるタイプの検査をやって、その結果から診断が下りているので、少なくともこれは法的には「体質」でなく「傷病」として取り扱われる状態のものです。
今は薬で症状を抑えています。薬をちゃんと飲んでいれば、少なくとも8時間くらいのフルタイム勤務プラスときどき残業くらいなら、差し当たっては問題なくこなせます。
しかし薬で症状を抑えるというのも、いろいろと厄介ではありまして。
言うまでもなくカネはかかるし、副作用と闘わねばならないし、薬の飲み合わせにも気を使わねばなりません。
そしてトラコが最大級に恐れているのが、「薬に耐性がついてしまうことがある」という現実であります。
この病気は今のところ保険適用されている薬が少なく、っていうかそもそもメカニズムが不明なので効くと言える薬自体が少なく、今飲んでるヤツ(副作用がもっとも緩やかとされているヤツ)が合わなくなったらトラコは詰む。
そしたら生活保護一直線であります。
きっといろんな人が言うでありましょう。
『眠いだけなんて病気じゃない』『いくらでも眠れるなんて羨ましい』『寝てるだけの奴に生保なんて出すな』。
しかし実家の世話にはなりたくない。というかなれない。要介護者いるとこにさらなるゴクツブシを戻してどうするという話です。
そもそも薬が効かないとなると車の運転が絶望的、そして地方で車が使えないのは足がないに近い。
さらにさらに、この病気を診られる医者がいない。少ないんじゃなくて居ないのです。少なくとも県単位では探しても検索にかかりません。
この病気に出す薬はちょいと特殊なものもあって、今トラコが飲んでるやつとかは診断が下りた患者に専門の医師が処方せねばならないものです。医師は医師でも専門でなければ処方箋が書けない。
仮にこの薬が効かなくなって地元に帰ったとする。で、今後もし新しい薬が開発され保険認可されたとして、トラコはその薬にありつくことができるのでしょう、か?
新薬発売の情報は(ラッキーにも)得ることができたとしても、処方を受けるために毎月地方から東京通い?
眠りつぶれる病人がひとりで?
しかし、では東京で生保を受けるか、ということになると、三年寝太郎どころか五年十年寝太郎に税金が支払われることを、果たしてひとはよく思うものだろうか。
っていうかトラコ自身があんまりそういう状況に耐えられそうにない気もします。自分ではどうしようもない状況に陥り、かつそれを人様から延々責められている気分で24時間365日、三年五年十年。あダメだ普通にメンタル病むわこれ。
トラコは精神が貧弱なので、まだ薬に効き目はあるんだから、と自分で自分をごまかしていつもこの辺で想像を打ち切ります。
しかし現実は非情である。ときとして最も嫌な想像が現実化すること、それどころか思いもしなかった最悪の事態などが現実の状況として発生しうることを、人は知っています。
今、トラコは薬は効いていますが、血圧が妙に高止まりしているという副作用っぽい現実に直面中です。健康体と言えば健康体だけれども長期的に見てこの血圧の数値は芳しくない。っていうか目覚まし薬の他にも飲まないと暮らせない薬があるんですけどそっちが高血圧者への処方は可能な限り回避みたいな薬で主治医が渋い顔したりしている。
目覚まし薬も変えねばならないかもしれない。帰るったって選択肢は多くなく、そもそも今飲んでる奴が副作用が一番小さい奴と言われているので変えた薬にえらい目にあわされる可能性は結構ある。
戦々恐々とする日々です。
で、
ついにトランプ大統領爆誕ですねアメリカ合衆国。
オバマケア、撤回の可能性高めですね。
もうね、トラコは涙がちょちょぎれる思いですよ。
毎日薬を飲まねばならない身としては医療保険がどんだけありがたいか身に染みているわけで、仮にトラコが米国で生まれていたらもう詰んでいるわけです。
そして、トラコはこの点ラッキーにも米国じゃなくて日本国に生まれて今はいろいろ助かってますが、米国にはトラコと同じように薬で救われてる人とかたくさんいるだろうにと、もうそう思わずにいられないわけです。
でもトラコはドがつくレベルの貧乏人で、とてもそんな人らに何かしてあげるとかそういう余裕はない。
口惜しい。
こういうときトラコの脳裏に浮かぶ映像があります。
よくNASAとかが公開してそうな、渦巻き銀河の宇宙写真です。
たくさんのきらきらした粒のひとつひとつが銀河系で、我々の住む地球とかはその粒のひとつのそのまた一惑星なわけで、その地球にヒトが70億くらいひしめいている。
正しく「自分は塵のひとつぶだ」と思い知るとき、よくトラコはこの美しい銀河の写真を思い浮かべるのです。ほぼ自動的に。
多分脳みそが己の無力さに打ちのめされすぎないように自己防衛的に用意するんだと思うんですが、その美しさに癒されてはならないのに、どうもこの映像が浮かぶと、「ここは広大な、本当に広大な場所なんだ。自分は本当に本当にちっぽけなんだ」と言うことを感覚で納得してしまうんですよね。
それで口惜しさは悲しみになってしまう。
そして何もできないことをしくしくと受け入れてしまうのです。
そんなわけで、ほぼ眠り潰れていたというのに、起きているときはずっとものがなしい日曜日でありました。