星乃トラコは眠りたい。

小説を書いて一発当てて犬を飼って寝て暮らす。それがわたしの最終目標。

ポケモンの思い出。

おこんばんは。ご無沙汰しとりやす、トラコでございます。

小説を書いて犬を飼うぞなどとのたまっておきながら眠気と食欲のなさに日常のあれこれを妨げられる日々でございました。

今回は息抜きに雑談みたいなぶつくさでございます。タイトルにも書いてますが、そう個人的な思い出です。あのソフトの。

長いす。6000字超えたっす。あとポケモンわかんない人にはわかんない話ばっかりっす。

要約すると、トラコは幼少期、率直に言って、ポケモン狂いでございました。というお話です。

 

 

 

この頃は症状もさることながら仕事の忙しさ、こいつに振り回されて残業が増え、その影響でさらに体調も崩すという、何というか洗濯機様構造の悪しきスパイラルに巻き込まれてヒィヒィ言ってたら、気がついたら初代ポケモン20周年だとか。しかもそれももう先週の話だとか。マサラタウンにさよならしてからどれだけの時間経っただろーお〜♪*1

嘘だろ承太郎。誰か時を早送りしてるだろ。だってトラコは主人公とリアルにタメくらいの(公式で彼が何歳なんだか知らんが)マジモンのジャリガキだったんだぜ当時。20年て。絶対なにかの詐欺的行為が発生しているだろう。時間泥棒とかそういう。

感傷に駆られて検索なんぞしてみたら、出るわ出るわ当時少年今ダメ人間のオールド世代向けの商品が。

なんやねん。なんやねんな「大人もポケモン」て。ミュウて。買ってまうに決まってるやろ。幻のポケモンやぞ。金で買えるもんとちゃうねんぞ本当は。

あともうちょっとで2DSもポチってまうとこだわ。そんな金はない。断じてない。ヤクの出費だけでも大概な金額だというのに。そこまで株式会社ポケモンに貢ぐなら普通にGBカセットとGBASP本体掘り出してきてプレイするわ。赤緑青黄に金銀までは揃えとったんやで。言うまでもなく全部新品の予約購入や。ガキの時分すでにそんだけ貢いどるんやで。もうええでっしゃろ。*2

水晶ver.くらいでついてけなくなったというか、いい加減主人公ともトシが離れてきたし親があんまりにもポケ狂いのトラコを「みっともない」言うて諌めるねんから、あのままいくらでも狂ってられたんやけど、これはさすがにあかんかなー思て手ぇ引いたんですわ。

そんでな、何が恐ろしいてな、当時トラコは主人公とタメくらいのガチのジャリガキやったんやけど、当時すでにポケモンネタでしこしこ小説書いとってん。

いやーこわいわー。自分がこわいわー。何一つ成長してへんってのを目の当たりにさせられるときっついわー。

んでな、ポケモンから一旦離れたんも、まあみっともないみっともない連呼されたのも効いたんやけどな、小説書くんならいろんなこと広く知らんとあかんな、と思たのも大きかったんですわ。

つまり、ポケモンに狂いに狂っとったころ、そんな我が身をふと省みて、自分はポケモンから何を手に入れたんかな、と考えたんですな。

ひとつは言うまでもなくゲームっつうもんの楽しさですな。初RPGやねん、ポケモンが。

当時ゲームっつうて他に持ってたもんがカービィシリーズと、あとはマリオの六つの金貨とかだけで、両シリーズってアクションゲームですやろ? 自分どんくさいんで、アクションものってクリアできんとめっちゃストレスたまるんですわ。特にマリオ。地味にマリオ難易度高かったの自分には。

でもポケモンはそもそもアクションものとルールが違う。ロールプレイングゲームとはよお言うたもんで、おはなしの中に入り込んだみたいな視点でやれる。ちなみにガチのジャリガキなので当然主人公には自分の名前(本名)をつけます。少年に容赦なく女名を命名します。そうやってトラコは当時ポケモン世界に行っとったんですな、比喩でなしに。

もう、楽しかったのなんの!

デ◯ズニーランドより圧倒的に楽しかったですな。なんせやりたい思たことはなんでもやってええんやで。「こっから先、関係者以外立ち入り禁止」とかそういうのないんやで。いやあるにはあるけど、そこに関係者装って入り込んだりできるんやで。そんなんじゃなくても、「こっちの草むらどうなってんかな」みたいなこと思ったら突撃してええんやで。おかんに真顔で「紐をつけたい」とか言われんでええんやで。

もうこの時点でポケモン=ゲームでゲーム=冒険で冒険=楽しい! ってな図式が完成されとったんな。

そして冒険していて何が楽しいのかをも考えた。ジャリガキの拙い脳みそで、それは「知ること」である、と結論された。

見たことないとこに行くのは楽しい。知らないポケモン見つけて、戦ったり捕まえたりすんのは楽しい。捕まると嬉しい。そいつ鍛えてたら新しい技覚えたりして、さっそく使ってみたらビビるほど強かったりして、これまた楽しい。

楽しいのオンパレードやねん。そらジャリの脳みそ狂いもするわ。

そしてもうひとつの「知ること」の楽しさも見つけた。それは「ポケモンとは何者であるか」を知ることやった。つまり、図鑑を読むこと。そして「元ネタ」を見つけること。

ポケモン図鑑の解説文といえば地味にホラーなことが書いてあるということでネタ的に有名と思われるが、つまりネタ的に有名になる程度には読み応えがあった。一文一文は短いけど151匹分。しかも内容は、今捕まえて手元にいるナマの生き物の情報。*3

もともと動物図鑑とか読むの大好きやったのが、これが面白くないわけがない。

そしてもうひとつ、ポケ狂いのトラコは親なんぞが「何が面白いの」て呆れ顔すると、ここぞとばかりにどんなポケモンがいてどんな奴でと説明しだすのですね。絵に描いたような嫌われるタイプのオタクの行動ですが、そこで親がツッコむわけですわ。

「ふーん。そのフーディンての、フーディニーからきてるのな」

ふーでぃにー? なんぞそれ?

ジャリガキのトラコがキョトンとすると、親が言うわけです。フーディニーって超能力者がいて、スプーン曲げで有名になったんだと。でもフーディニーはインチキだと。だからそんなんをモチーフに持ってきてるポケモンというゲームだって所詮いいかげんなもんだと。

この発言内容は正確ではなく、「スプーン曲げで有名な超能力者」はユリ・ゲラー氏の方で、フーディン進化前ユンゲラーの元ネタであり、フーディニー氏はむしろ心霊インチキを暴く方に情熱を傾けた方であることは後に知ったのですが、とにかく当時のトラコはこの時生まれて初めて「元ネタ」とか「モチーフ」という概念に触れたわけです。

そっから先はとにもかくにも元ネタとかモチーフとかを探すことに夢中になりました。ポケモンはいいかげんなんかじゃないやい! という反骨精神ももちろんありましたが、前述の「知ること」の楽しさが爆発したというのが大きかった。しかも「元ネタ」という小道は辿っていくとトラコのいるリアル世界に通じているわけなのです。こんな楽しそうな草むらがあって入らずにいられるだろうか(反語)。

そんなわけで、ポケモンから何を受け取ったかは即答レベルで言語化できてた。そう当時からこんな具合で言語化しておったわけです。

言語化というのはレンガを積むのに似てます。つまり、階段を作るわけです。作った階段どうするかって、上るに決まっておるのであります。

ポケモン=ゲーム=冒険=楽しい=知ること、では次にすべきことは何か?

主人公トラコの行く手は二手に分かれていたわけであります。ひとつはポケモンクリスタルへ、つまりポケ狂いを継続する道へ。より深く濃ゆくポケモンの世界へ。

そしてもうひとつはそれ以外のどこかへ。

 

 

 

トラコがその二択にたどり着くより少し前、初代ポケモンはついにアニメ映画になりました。そう、大抵のポケモンファンが観たであろう『ミュウツーの逆襲』。

言うまでもなくポケ狂いのトラコも劇場で見、圧倒され、圧倒されたまま帰宅して、それからずっとあの映画のことを頭のどっかで考え続けているのであります。トラコの欲求であり目的であり、時には興味の対象それ自体にもなった「知ること」が、単にテンション高い楽しさで終わらずに、進化して「考えること」になった。ってな心境でありました。体感的にね。

なんちゅーか、本能レベルな判断だったのですが、トラコは知ることと考えることを殺すべきではないと思いました。そして知ることと考えることは、たぶんポケモン世界にいるばっかりではあんまり長生きできない。つーか、当時すでに「ポケモン世界にとどまる」ことが難しい状態だった。

なんせポケモンの世界にはすでに「元ネタ」「モチーフ」なる小道があって現実に通じていることをトラコはすでに発見しています。たぶん、別種の小道が別種のやり方で、やっぱり現実に通じている可能性は結構高い。『ミュウツーの逆襲』もその小道のひとつで、正直トラコには険しすぎて辿れなかった(し辿れてない)のですが、しかしトラコはミュウツーの苦悩をちゃんと理解したいと思いました。

トラコはクソジャリでしたがポケモンが好きだったので、フィクションでもなんでもポケモンに苦しんでほしくなかったし、何が苦しいのか悲しいのかわかりたかったのです。

そのためにはもっといろんなことを知る必要があったし考える必要がありました。そしてそのための舞台というのはたぶんポケモン世界じゃなくてリアル世界の方がいいだろう、なぜならポケモン世界でその辺を追っかけても最終的にはリアル世界の方に通じていくのだから。「フィクション」とか「おはなし」とか「作品」とか、そういうものはつまりそういう役割をもったものなのだろう。

というのが、これは当時言語化には至らなかったのですが、トラコの結論であったのでした。

 

 

 

というわけで、トラコは「それ以外どこかへの道」を選択し、中学入学と同時に(ほぼ)きっぱりとポケモンと手を切ったのでした。金銀がラストソフトで、グッズは買わない。

その代わりに、「わたしは何者なのか」「なぜここにいるのか」というような問いを扱った本を探したり、読もうと思ってページ開いて挫折したり、正直懲りかけていたけども『ソフィーの世界』で知ること=楽しい! の発狂が再発したりと順調に厨二病をこじらせて行った次第です。

言うまでもなく映画の主題歌に背中を押されたとこもありました。歌詞もそうだけど、エンディングが流れるとき、主人公サトシたちが旅を続けていく風景が映るんですが、そのなかで、「おいその樹、樹齢何万年やねん」という大木が文字通り林立するどっかの森の中を豆粒みたいなサトシたちが歩いていくってシーンがあるのです。

やせいのポケモンがくさむらから飛び出してくるどころか、彼らの他に生き物いないんじゃないかと疑わせるような静謐。ああいう風景はゲームのポケモンの中には出てこなかった。

それはトラコにとってはまぎれもない「ここ以外のどこか」で、そこへ行きたい、そこへ行かなきゃならない、そこだけじゃないもっといろんな想像も絶するようなところへ行ってみたい行かなきゃならない、というのが痛烈に感じられたのでした。

 

 

 

ついでにゲームプレイ中の思い出をひとつ。当時小学生でしたが、未だに忘れられない対戦があります。

 

初代のシナリオ終盤でリーグ四天王と連戦を重ね、疲労困憊のトラコと手持ちポケモンたち。

へろへろの状態でたどり着いた殿堂入りの部屋で待ち受けていた「チャンピオン」。

ガチのジャリガキだったが故に煽り耐性の極端に低かったトラコは対戦に突入した時点でかなりマジギレしており*4、このクソガキャアなめやがって、絶対に負けられんと鼻息荒く手持ちを繰り出したわけです。

しかし蓋を開けてみれば、

・そもそもトラコの手持ちポケモンはレベルが相手のそれをかなり下回ってた

・さすがにタイプの相性は頭に叩き込んでたものの、タイプバランスより付き合いの長さでメンバーを選んでたようなもの(カメックスギャラドスオニドリル・スピアー・プクリン…お月見山までで全員揃うメンツ…)

・おまけにマックス6匹なのに5匹編成だった(相手は当然6匹出してくる)

ので、あわれヘボトレーナーの愛ポケは一匹また一匹と倒れ伏し、しかし負けたくない一心でヘボはレアアイテム「げんきのかたまり」を初めとした回復アイテムをかたっぱしから投入、どうせ最終戦だとなりふり構わず戦っているうちに、ついに向こうもこっちもラスト一体同士、お互い「相手を倒したらそこで自分が勝ち!倒されたら負け!!」状態となったのでした。

トラコのポケモンはその時点で手負い、しかし回復アイテムは尽きておりました。

一方相手のポケモンは手負いですが自力回復技「じこさいせい」持ちでレベルがこっちより7も高く、そして相性的にはこっちの大の苦手であるエスパータイプ

向こうから一撃もらったらその時点でゲームセットです。そしてレベルは向こうの方が高い=ステータスが高い=向こうが先手を打てる。

当時、アスキーアートという文化をトラコは知りませんでしたが、今風に言うと

オワタ\(^o^)/

と思いました。そしてそう思いながらも、

ああああああああ悔しいいいいいいいいいいちくしょおおおおおおおおまたあの連戦やり直すのかよおおおおしかもダンジョンでしか手に入らないアイテムもじゃんじゃんつぎ込んじゃったのにいいいいい何より所持金半分負けた相手に取られるこのクソむかつくガキに取られる軍資金が取られるうううううう悔しすぎるううううううう!!!!!リセットしちゃろか

と本気でギリギリ歯噛みしかねない勢いで悔しがっておりました。

発狂しそうになりながらトラコは、せめて一矢報いて散ったるとダメ元で攻撃技を指示、そしてそして何ということでしょう、相手は手負いなのを気にしたのか、初手から「じこさいせい」で体力回復を試みたではありませんか。

ぶっちゃけ向こうも攻撃技を繰り出してくる*5とばかり思っていたトラコは「えっ」と一瞬虚を突かれ、そしてそんなヘボトレーナーを尻目に我がスピアーは見事ダブルニードルを叩き込み、じこさいせいで体力満タンに回復したばかりの相手のフーディンを沈めたのでありました。

そう、トラコはレベル差に気を取られていて気がつかなかったのですが、フーディンにとってもスピアーは苦手なタイプのポケモンであり、ブチ込まれたらおしまいなのはお互い様であったのです。

 

 

愕然とする「元」チャンピオン。

呆気に取られているトラコ。

そして画面の中の、スピアーの後ろ姿。

トキワの森でつかまえたときはLv.3だったあのちいさなけむしが、今やトラコの初殿堂入りの決定打です。奇跡みたいな大逆転です。

なんと頼もしくなったことでしょう。

彼(?)だけではありません。彼を勝利へとのし上げた他の手持ちポケモンも、みんなLv.3とか5とかの、序盤も序盤からの付き合いです。

殿堂入りしたポケモンとして一匹一匹が表示されるたびに、こいつを捕まえたのはあそこだった、進化したのはレベルいくつだった、わざマシン使ってみたら意外な技をおぼえてしかも強くてびっくりした、進化したとき本当に嬉しかった。といったことを、とりとめもなく思い返していたのをトラコは憶えています。

トラコたちはここまでずっと、この「みんな」でやってきて、この「みんな」でついに勝ったのでした。

 

 

 

……あー、ポケモンやりたくなってきた。

 

*1:当時も薄々思ってましたが、なんかアニメポケモンの歌って微妙に「大人が子ども時代を振り返る・懐かしむ」みたいなの多くないすか? 『夏休みファンクラブ』とか『ピカピカまっさいチュウ』とか『ポケットにファンタジー』とか

*2:グッズ? 言うまでもなく家族も引くほど持っとったわ。個人的に一番のお宝なんはアニメのサトシの初代のキャップと鳴き声クイズ機能付きのポケモン図鑑(151匹時代版)ですわ。今だに151匹全部言えるどころか、図鑑ナンバー40番ぐらいまでは番号順にソラで言えるしな。

*3:いやわかってますよゲームだとは!ナマじゃないし生き物でもないし手元にもいないとは!でも当時のトラコには「今捕まえて手元にいるナマの生き物」だったのですよ!!

*4:初代のライバルは初っ端から印象が最悪で、台詞回しも気に入らなかったし、ダンジョン越えたばっかりなどパーティメンバーがズタボロ気味のタイミングで鉢合わせて強制バトルに入ったり、行くジム行くジム全部先に制覇されてたりと、トラコは本気で憤死しかねない勢いでライバルをうざがっていました…今では可愛いモンよと思えると思いたい

*5:人間のトレーナーなら絶対そうする。トラコでもそうする。CPUの悲しきサガよのう