わたしという人物及びその人生の目的について
小説を書いて一発当てて犬を飼って寝て暮らす。
それがわたしの最終目標。
別にわがまま言ってるわけじゃない。
小説を書くというのは私が持っているうちで唯一金になりそうな類の才能であり、暮らしのためには小遣い稼ぎでなく口を糊することのできる金額が必要であり、犬は人間のもっとも忠実な友であり、寝て暮らすのは私が眠り病を患っているからだ。
必然に固めた最低限の生活、わがままどころか慎ましいと言ってもいいくらいの生活である。
私には豪邸も車も宝石も社会的地位も必要ない。それらを維持できるだけの機会も体力も無いからである。眠り病のおかげでどこへ出かけて何をしてみても二言目には「眠い」とぶつくさつぶやくはめになる。当然居合わせた人間は何事かと思う。早朝や深夜ならともかく、昼日中からあくびを連発して目をこすっているのである。電車で空いた席に腰掛けようものなら、たちまち夢の世界へ落ちてしまう。誰かとの食事や買い物の最中にもずっと眠そうに(=だるそうに、つまらなさそうに)している。自然と社交の機会は減り、社会的な地位もすり減っていく。
でかい家は維持が大変なだけだし(私は大変な片付け下手だ)、車なんて危なっかしくてとても運転できない。きらきら輝くものなら石でも水面でも同じことであるので、近所の川にでも出かければ済む。いずれも無用の長物である。
あ、でも庭はほしいかも。欲を言えばプールも。いずれも広い方が良い。大型犬を飼って遊ばせるには広いスペースが必要だからだ。飼うならゴールデンレトリバーと決めているので水場があると最高である。
犬はいい。ゴールデンレトリバーは更にいい。彼らは誠実で我慢強く頭がいいくせに甘えん坊だ。その愛には限りがなく、したがってそのじゃれかかりやのしかかりにも限りがない。愛を体現していることを自覚しているかのごとく文字通り体当たりで愛をぶつけてくる。
かと思えば、決して人の手を噛まないよう、人の手のひらや足を踏みつけないよう、実は常に細心の注意を払ってもいる。気遣いという愛も持ち合わせているというわけだ。
これを愛さずにいられようか。
一緒にいるだけで至福と言わんばかりにどこへ行くにもひっついてきて、スペースに乏しい席でも隣にその巨体をねじ込み、入らない尻を落ち着けてにこにこしている。頭や耳の後ろや喉元のすばらしくつやつやな毛を撫でさえすれば、大変にご機嫌である。私が眠り病に潰されて床に転がっていると、犬はそっとやってきて、ごく遠慮がちに寄り添って丸まる。眠る私の邪魔をすまいと、でかい体で精一杯のことをしてくれるのだ。
私も私の精一杯のことを犬にしてやりたいと思うのは当然ではないか。
ゆえに私のすみかには広い庭と、可能なら水場が必要である。
そのためには大金だ。ゆえに、小説である。
小説で一発当てることが宝くじで一発当てるよりも難しいことは重々承知している。もともと確率の低い夢である上に、このご時世小説の売れ行きは芳しくない。
しかし、しかしだ。私の持ち物で売りに出しても良いと思えるもので実際に売れそうなものは、他にはほとんどないのだ。
私は家は持っていない。私は金になるものは持っていない。私は時間さえ持っていないも同然だ。眠り病のせいで。よしんば薬が効いたとしても、私の仕事での稼ぎは非常に限られている。
だったら、これはもう、私の書いたものにでも私の代わりに金を稼いでもらうより他にないではないか。私が寝ている間にも。
一発当てるのが目標と言ったが、この際千円を超えるなら金額は問わない。私が寝ている間に、金に化けてくれさえすればいい。薬代だって馬鹿にならないのだ。
犬を飼うのは憧れであり目標であり可能なら実家の犬と暮らしたいというのは切に望むところであるが、金がかかることだというのも理解している。何も全てを明日叶えよとまで望んではいない。
そして、生活の基盤に巣食う妨げがある。
眠り病。
おぞましい病だ。
私が持っている数々の気性の中でももっとも私を手こずらせ苦しめる、最悪の性質を示す。
私は眠気が大変に強いだけで発作がないのでまだマシな方で、人によっては喜んだり嘆いたりとテンションの上がった瞬間に脱力して動けなくなるという発作が出る場合もあるそうだ。
投薬治療を受けているがあまり効いている気配はない。日々眠気は強く、カーペットを見ると突っ伏して寝たいという衝動と戦わねばならない。椅子に腰掛けて息を吐き、何となく目を閉じて仕事についての段取りを頭の中で考え始める、この書類に印をもらってこの話はあの部署に持って行って、などと考えていると、いつのまにか関係者名簿がハムスターの出欠簿になっていて次の会議ではハムスターを見分けて出欠を取らねばならないがまだ全ハムスターの区別がつかないどうしようなどと必死になってしまい汗だくで目がさめる、というような毎日を送っている。
これも、私はなぜかハムスターで済んでいるが、たいていの患者は一人暮らしの自室に凶器を持った侵入者がある等の異様にリアルな悪夢を見たり金縛りにあったりするものなのだそうだ。
今のところ発症原因もはっきり特定されてはおらず、根治の方法はない。事によっては一生この眠気と付き合わなくてはならない可能性がある、ということである。
そうでなくても労働者としては極めて出来の悪い私であるのに、この頃の肉体は食事する暇があったら睡眠を取れとばかりに四六時中眠い。
食いたいものがあっても食うとまずく、買い物には行けても料理はできず、洗濯物は溜まりに溜まって、タイムシフト予約したジョジョも飛び石でしか視聴できず結局見事に見逃した。よりにもよって最終回を。
このままでは生活が破壊される。
はっきり言って仕事などしてる場合ではないのである。
しかし当たり前だが仕事を辞めることはできない。
金がなくては生活できないという意味でもそうだが、この病気の本当に最悪なところは、眠っても回復したり症状が軽減されるとは限らないということなのである。少なくとも私には寝たことで眠り病が軽減されたという実感は全くない。毎日8時間以上寝ていて昼寝もこっそりとって、それでも耐えきれず居眠りをするし出社から退社まであくびを連発しているのである。
仮に辞めたとしても療養の方法は無い。毎日寝て暮らすのみである。
ならば、せめて今は仕事にしがみついてできることはやりつつも、寝て暮らしながら働けて金の稼げる方法を探すか作るかした方がよいではないか。それなら犬の添い寝で昼寝もできよう。
ゆえに、
小説を書いて一発当てて犬を飼って寝て暮らす。
それがわたしの最終目標。
私にはこの生活をつかみ取るために努力をする権利があるし、私の犬のためにこの生活を(完璧ならずとも)実現する義務がある。
必然に固めた最低限の生活、わがままどころか慎ましいと言ってもいいくらいである。